『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
90/356

88なると思います。――学問的な方法論としては「それ以上は言えない」というのはよく分かります。ただ印象としては、どうでしょうか(笑)。やっぱりなんとも言えないんですが、まあそうなんだろうなあと思います。――京都の宮廷社会において本当は橘氏と全く無関係の人間が「橘以広」を勝手に名乗って仕事をしていくというのは、できないですよね?それはあり得ないです。ですからあくまでも実名の中の通字として「以」という字があって、橘という姓を名乗っているということであれば、橘氏のこのグループの人間であると当然、研究者は考えます。――斑目姓の由来の他の可能性として、斑目四郎の子孫がいつのころか京都に移り住ん

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です