『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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70後『増補版』と表記=23頁参照)だ。そのコピーを五味氏からもらった。一昨年の『薩摩斑目家の歴史』で触れたように、『増補版』には惟広の添書きとして驚くべきことが書いてあった。「後改元長」とあったのだ。これを素直に読むともちろん、惟広が後に「元長」と改名したとなる。当然、惟広が「元長」の名で斑目郷の地頭になったということを意味する。そして、その子・惟基が継いで地頭となり、「斑目」を名乗り始めたと解することになるだろう。この見立てにおいて、『出羽国斑目御下文案』『橘姓班目氏系図』『増補版』の意味するところが、一つの流れとして自然につながることになる。①橘元長が斑目郷の地頭に任命された(『出羽国斑目御下文案』)②橘元長とは橘惟広の改名である(『増補版』)③惟広が地頭として領した斑目郷を、子の惟基が継ぎ、「斑目」の名を名乗ることになった(『橘姓斑目氏系図』)――つまりは、この流れが事実である可

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