『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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62どに「広」の字に誇りを持つことができる先祖、あるいは縁者がいたからだと考えるのが自然だろう。では、その「広」の字が付く偉大な人物とは、だれなのか。以広の父、京都橘氏の広房とも考えられるが、前記の力曠さんの言葉からしても、鎌倉幕府の大立者だった大江広元と見ることができるだろう。広元の代々の子孫にも「広」の字を通字として持つ者が多い。実は、広房は一時期、平安後期の有力公卿で広元の曽祖父である大おおえの江匡まさふさ房の養子となっていた。のちに橘氏に復姓したが、いわば大江一族の一員として連なってもいる。その広房を介した関係が「斑目家は大江広元と関係が深い」と伝承されたものだと思われる。つまり、力曠さんが父・日仏氏から聞かされていたという、その言葉が逆に「広房の子」説を補強する状況証拠と言えるかもしれない。以後、以広は京都橘氏の系統であることを前提に取材を進めることにした。

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