『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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51第2章 「100%の立証は不可能」だが 第2章 「100%の立証は不可能」だが薩摩斑目家が古来「源平藤橘」と並び称せられた貴族の名門・京都橘氏の本流に連なる系統だったとは、全くの驚きである。しかし、斑目家にとって、事は重大である。いくら宝賀寿男氏という当代随一の系図研究者の見立てとはいえ、ハイそうですかと簡単に受け入れられるものではなかろう。斑目力曠さんの家系でも、他の斑目家でも、通底して「先祖は斑目四郎」と伝承されているのだ。かといって、その宝賀氏の見立てを無視して、これまで通りに調査を続けることは、もはや無理である。見立ての論理が持つ説得力が自ずと以広と惟広の印象を京都橘氏の方向へと導くのである。にわかには肯定もできず、否定もできず。そんな心境で、私も歴史のド素人ながら、宝

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