『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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2斑目四郎に関する文献史料としては、前九年合戦を描いた『陸奥話記』にたった一言、「吉きみこ美候武たけただ忠為六陣。字斑目四郎」とあるだけだ。他に文献史料は、全くないのだ。インターネットで検索し、国会図書館や東大史料編纂所などで資料を漁り、あるいは学者・研究者に尋ねまくり、秋田・岩手・山形3県の全市町村に問い合わせてみても、斑目四郎に関する新しい情報は一つも出て来ない。全国を見ても斑目四郎を調べている学者・研究者は一人もいない。前九年合戦に関連する書籍や論文の中に斑目四郎への言及が散見されるにしても、要は『陸奥話記』の一言を「吉美侯武忠、字名を斑目四郎と言い、前九年合戦で第6陣司令官だった」などと翻訳しているだけだ。子孫たる文雄氏が『先祖探しの旅』でかなりのページを割いて斑目四郎に言及してはいるが、出身地について相模国説を前提としていて、出羽国説の私とは立場が決定的に異な

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