『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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324に移築され現在の「霊明殿」となっている。私はふだん「不思議な縁」といったものを特に意識するタイプではないのだが、今回の取材を通じて、そうしたものを少し意識させられるようになった。いま触れた「力曠さんと大覚寺」の縁がそうだし、第1章で言及したように宝賀寿男氏をめぐって「自宅住所の発見」「グーグルアースの画像」「道玄坂の遭遇」と立て続けに起きた出来事もそうだ。さらに、もう一つ不思議な思いを経験した。力曠さんはネット上に『ひらめきと感動の世界』というHPを持っており、そこで公開する偉人伝のビデオ作品として一、二年前、立て続けに『新渡戸稲造シリーズ』と『大山捨松の生涯』を製作している。「世界の新渡戸稲造」の人選はともかく、続く作品がなぜ大山捨松なのか。私はいま一つピンと来なかったのだが、力曠さんは「次は女性、まだ世の中にそんなに知られていない女性がいい」と思い巡らすうち、なぜか「大山捨すてまつ松」が頭に浮かんだということだった。

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