『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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302――そうしたはるかいにしえの歴史の展開を想像しながら物証を探る考古学ってのは、病みつきになるんでしょうね(笑)。いま発掘をやっているのは金かねざわのき沢柵の遺跡を出せるかどうかで、いわば国の重要文化財を出せるかどうかですからね。そりゃあ、出せたらすぐに大きなニュースになります。だから、出したいなあ。横手市の発掘が進んで、遺跡相互のパターンが分かれば、それを秋田市にあてはめて、斑目四郎の居館や立地も推定することが出来ると思うんですよ。【注】「金沢柵」平安後期、東北の雄となった豪族・清原一族の本拠地。秋田県横手市金沢にあったとされる城柵だが、建造の正確な時期や場所は特定されていない。後三年合戦(1083~1087年)の決戦場となったことで知られる。清原家衡と武衡が陣を敷いて徹底抗戦の構えを取ったが、源義家は糧道を断つという吉彦秀武の作戦を採用し、戦いを終わらせた。――最後に、その考古学の現場から斑目四郎あるいは斑目郷の問題を見ると、どう見え

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