『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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296いた可能性がある。そこからして、3村のエリアすべてをまとめて「斑目」であったと見ることが出来る。とにかく、斑目郷というのはそういう遺構まで出てくる土地柄なんです。――その遺跡はいま、どういう状態なんでしょうか。秋田空港から御所野台地まで通した道路が遺跡の中を走っていて、真中でぶった切られた格好になっています。ですから、現地へ行かれたとしてもイメージがわかないかもしれません。立地としては川が流れているところへ街道が入って来ている地点で、そこの標高20㍍ぐらいのところに遺跡があるんです。要するに、この横手の大鳥井山遺跡と同じような感じになっているんですよ。添川と太平川と岩見川、そういう大きな結節点にあるわけです。水上交通と陸上交通の結節点で、人の流れや物の流れに目を配るという役目を持った遺跡だということ。要は条件として、街道と河川がぶつかればいいだけ、そして小高い山があって館があればいいだけですから。古代の人たちはそういうところに拠点を張っていったんですね。

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