『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
292/356

290◇(閑話休題)――先ほどチラッと「広ひろおもてごう面郷」という名を出していらっしゃいましたね。それは秋田城で発掘された漆紙木簡に出ているんですよ。「広面」はいまもある地名で、秋田大学がある辺りです。ちょうど秋田市東部地区に当たり、そこに添川も太平川も結節点として流れてきている。いまは住宅街になっていて分かりにくいですけど、在地の人が強くなる要素を持っていた場所だし、窯跡も出ている。実は、そこイコール「斑目」にけっこう近いんじゃないかと、私は思っているんです。――「広面郷」は斑目郷と同じ時期に存在していた?いや、斑目郷よりも古い時期ですね。斑目郷はもっと小っちゃい地域からスタートして、どんどん大きくなっていったんじゃないでしょうか。だから「元慶の乱」のときには斑目ではなく、覇別という名前だった。斑目という地名は前九年合戦の前後にしか出て来ませ

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です