『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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288ずらーっと書き上げている。それを見ると、この辺りの村の名前の上に、みな『目』という漢字がついている。上流から『目大平』、その次が『目長崎』、それから『目長田』とか……。なんでみんな『目』がつくのかってことですよ。ハッと思いつくのは「斑目郷の長崎村」といった意味なのだなと。常識的に考えて、そういう推理が成り立つ。なんでみな「目」が付くのか、それは斑目郷のことだ。これらは中世に『斑目郷』の地域を構成した幾つもの村の名前ということですね。だから『目大平村』とか『目長崎村』とか『目長田村』とかつくんだろう。それが、ちゃんと歴史学の解釈として成り立つわけですね」「そういうふうな形で『斑目郷』というものがあったのは間違いない。調べてみると、この時代、領主が所領を拡大する一番手っ取り早い方法は『保』という特別行政区域を作ることだった。そうやって国領の役人というのは『国領保』という所領の領主に簡単になっていく。だから『斑目郷』というのは『斑目保』だったのじゃないか……。そう思って秋田家文書を見てみたら、なんのことはない。ここを『大オダイラ平保』と呼んでいたことが書いてある。ということは、やっぱり『斑目郷』は『保』として成立したわけですよ」

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