『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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274少々口が滑らかにすぎた点があるとすれば、遠く関東から来た私への、島田氏の人柄ゆえのサービス精神だろう。仮説なしには科学の研究もままならないのだし、大胆な推論を大らかな目で見ていただきたい。島田氏の話を紹介する前に、その骨子を以下にまとめておく。現段階では推論に過ぎないが、古代出羽研究の最前線を担う発掘現場からのものである点に新鮮な意義がある。① 秋田市東部に斑目四郎の支配地である「斑目郷」と呼ばれる地域があった。②「斑目郷」の一部として、山中の谷間に「班目沢」と呼ばれる地域があった。③「斑目郷」の名は開発・興亡を繰り返した歴史の変遷の中で消えて行ったが、山中の奥地は開発されることなく、「班目沢」の名が残ることになった。④ 秋田城の周辺で起きた「元がんきょう慶の乱らん」(878年)の際、添川、覇は別べつ、助川の三村が朝廷

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