『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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262さらに、斑目郷が位置する秋田北部の地域には、古代から橘姓を持つ人物たちが入れ代わり立ち代わり存在感を漂わせている。その橘氏と、この地で暮らす斑目四郎の縁者たちが婚姻や養子縁組などで結びついて「橘姓斑目氏」が誕生した可能性については、取材した学者・研究者の多くが当然のように指摘していた。その秋田北部に存在感を漂わせていた橘氏たちを、以下にまとめて紹介しておく。① 考古学の成果として、9世紀のある時期、秋田城の周辺に橘姓を名乗る者がいたことが分かっている。秋田城跡から「橘」の文字が入った墨書土器2点が発掘されていて、その文字は人名と見られている。学習院大学の鐘江宏之教授に聞くと、「当時、国司の書記官クラスの橘氏が京都から全国のどこにでも行っていた可能性がある。橘氏の勢力は中央ではもう全く落ちていたから、赴任先に土着して在庁官人化したっておかしくない。そういう人々が秋田城辺りにいて、それが後の時代に斑目氏につながるということはありうるかもしれない」という。

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