『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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230いるんですけども、そういう産金地帯に最初いた可能性もあるということでしょうね。――いずれにしても「小金」の系統は蝦夷でなく、内地の人間だったということですね。はい。新田郡に定住して二代、三代と経ていくうちに、体が強く、能力があり、そしてリーダーシップがあったから、俘囚長になったということじゃないでしょうか。俘囚には在地系と移民系がいたのですが、吉彦氏・斑目氏は移民系俘囚(もともとは日本国の内民)だということです。――ということは「小金」が新田郡に移住してきたというよりも、一代か二代か三代か前に移住してきて、「小金」はその子孫ということ?そうですね。そっちの可能性が強いと考えた方がいいでしょうね。――「小金」の褒賞の理由となっている「勇敢」とは、どんな光景の出来事なんですかね。

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