『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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228なりませんかという声がかかって行ったパターンだし、それでも人が集まらなくて、結局は強制によって移住させられるというパターンになる。そうした募集と強制という二つのパターンがあるんですけど。「小金」の家系がどちらのパターンなのかは分かりません。――確かに「牛麿」と息子の「石成」の添書きに、それぞれ「新田郡」とありますね。はい、二代続いて書いてありますから、陸奥国の新田郡に定着したのだろうと判断できるわけです。もう一方で、考古学*群馬県太田市に残る新田郡庁跡。斑目四郎の先祖は この地から陸奥国に移民したと見られる。

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