『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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221第10章 野中哲照氏インタビューかったんだと思います。秀武が「吉彦」になったのは脱・俘ふしゅう囚で都のイメージを目指す意識があったんじゃないでしょうか。三文字よりも二文字の方が俘囚らしくなく、都の人らしいですからね。――俘囚というのは、東北の蝦夷で朝廷に従うようになった人たちですね。「コキン」という名前はそんな俘囚の当時において、どういう意味を持っていたんでしょうか。私は「小金」を「コキン」ではなく、「コガネ」と読んでいます。つまり、ゴールドの「黄金」。たぶん当時も「黄金」と書いたのが本当の字じゃないですかね。現代人は「金」を「キン」と言いますけど、古典の中では「コガネ」と言います。銀は「シロガネ」、銅は「アカガネ」、鉄は「クロガネ」です。金属類が全部「カネ」で、金・銀・銅・鉄をそういうふうに呼び分けますので、この「コガネ」は「黄金」だと思います。ということからして、「小金」と書かれた人物は金の採掘に関わった技能者だったと推測されますね。――「小金」自身がですか?

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