『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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18① 薩摩斑目家の系統は京都貴族の橘広房の子孫である蓋然性が最も高い。② 薩摩斑目家が「斑目」を名乗り始めたのは橘惟これもと基からであり、秋田市東部の斑目郷ごうの地頭となった縁からと考えられる。③ 東日本斑目家の系統は家伝通り、斑目四郎の子孫であると見るのが最も妥当である。④ 東日本斑目家も橘広房の子孫である可能性がある。⑤ 出羽国の斑目郷という根拠地を同じくする両系統は、その地での活動や婚姻などを通じて一体化している可能性がある。⑥ 斑目四郎の先祖を約250年遡る『吉弥侯部氏系図』が見つかった。その先祖は群馬県新にった田郡からの内地移民であると思われる。

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