『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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191第8章 清水亮氏インタビュー――『橘姓斑目氏系図』を見ると、以広が京都から鎌倉に下ってきて、もう何十年も経っているんでしょうに、なぜ孫の広長に「大だいぜんのすけ膳亮」、曾孫の長高に「掃かもんのすけ部助」と、相変わらず京都朝廷の官職名が付いているんですかね。官職って、買えるんですよ(笑)。それが朝廷の財源になっているんです。以広の子の惟広も「橘三蔵人」って書いてありますよね。蔵人ってのは、天皇の秘書官です。皇族の蔵人の場合も蔵人と名乗る場合がありますが、惟広の場合は天皇の蔵人なんでしょうね。要するに、京都から鎌倉にやって来たといっても、当時の人は当たり前のように京都と鎌倉を行ったり来たりしている。惟広がもし本当に蔵人だとしたら、たぶん京都と鎌倉を行ったり来たりしていたんですよ。――えっ、いったん鎌倉に下って来ているのに、まだ京都で働く可能性があるんですか。あります。

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