『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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189第8章 清水亮氏インタビュー――それにしても秋田北部には、公業一族の地頭としての史料がちゃんと残っているのに、なぜ「斑目郷地頭・橘元長」や惟基なんかの史料が全くないんでしょうか。実際には記録があるんだけど、表に出て来ないという事は大いにあり得ると思います。その結果、史料がなければ証明することは出来ないということにはなる。でも、史料がないから事実がなかったと言い切るのは、もっと難しいんじゃないかと思います。――歴史学における一般論として、まさにその通りだろうと思います。ですが、あえて聞き返しますが、同じ時代の近接した土地をめぐって、公業一族の相続史料がこれだけ具体的に存在する中で、元長(惟広)・惟基に関連しては出て来ないということについて、その一般論が同じようにあてはまってくれるんでしょうか。『小お鹿が島しま文書』(公業一族に関する基本史料)に出て来る公業から子供への分割相続の史料が、分割相続のすべてかどうかという問題がまずありますよね。それを検証しないといけない。それからもう一つ、斑目郷が別立ての所領になっている可能性もありますから、

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