『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
186/356

184世代はそれなりに史料が残っているのに、弟の子孫の史料が全くなにもない。本当に、どうしちゃったんでしょうね(笑)。斑目四郎は前九年合戦(1062年)の勝者の側ですもんね。後三年合戦(1083~1087年)までの間にいきなり没落したかというと、それは考えにくい。少なくとも前九年の後の20年ぐらいは健在だったとは思うんですが、なんともいえないですね。というのは、子孫たちが残っていたとしても、まず奥州合戦(1189年)で奥羽の勢力は鎌倉幕府に全部接収されちゃいます。それもあって史料が残らないんです。一方で、主だった連中はみな鎌倉幕府の地頭になっていく。奥羽の地頭というのは郡、荘、もしくは斑目郷みたいな郡レベルの郷に設置する形を取る。郡レベルの行政を行うのに、現地の住民を根こそぎ絶やすなんてことはありえない。だから、斑目四郎の系統の具体的なことは言えないけれど、奥羽の住人がみんな奥州合戦によっていなくなっちゃったかというと、そんなわけはない。地頭代官とか現地有力者として生きる道を選んだがゆえに、なかなか史料に出て来ないというのはあり得るんじゃないかと思います。要するに、鎌倉御家人や地頭ではなかったから、史料が残っていないというということでしょうね。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です