『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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182いでしょうね。ただ、「直則」の添書きに「三千貫文もの領」といった言い方が出て来ますが、貫高で領地の表記をするのは室町後期ぐらいからですかね。平安から鎌倉の時代であれば田地の広さを基準に領地の表記をするので、この系図は少なくとも表記の仕方としては後世のものですね。――それは表記の誤りですよね。だからといって、その事がこの系図の真実性を完全に否定するわけではありませんよね。この系図のどこまでが虚偽だと言うのは、なかなか難しいでしょうね。――肝心の斑目四郎の名も、惟秀の名も出て来ないのは、なぜでしょうか。分かりません(笑)。系図に出て来ることは大事だと思うんですけども、全ての系図に出て来るか来ないかが、決め手になるわけでもありませんからね。この系図は、凄く意地のわるい見方をすると、いろんなことを忘れちゃった後に作ろうとして、書いている側に

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