『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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179第8章 清水亮氏インタビューはい。橘次というのは、たぶん橘次郎という意味です。つまり斑目橘次郎。白河の結城氏朝が永享年間に足利義教に会いに上洛した時、お供の武士として「斑目橘次」という人物が出て来る。それが文書に残っているんです。この斑目は橘次ですから、もう出羽国斑目を本領とする武士であった橘氏と見なしていいでしょう。斑目という名字というか、地名がそもそも珍しく、しかも奥羽に荘園がある。だから、斑目惟秀も系図に頼らなくても、橘姓の武士と見なすことができるということです。――「奥羽に荘園」とは、具体的にどこのことですか。はっきり言えば、斑目郷。それでいいです。そこから来た斑目氏でよかろうと判断しています。――その見方によると、斑目惟秀の先祖の関係はどうなっているんですかね。それはペンディングにします。この薩摩の系図にきれいにあてはまるような文書や事実

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