『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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137第7章 疑わしきは「家伝」の利益にこのため、東日本斑目家の系統についてはスッキリとした論理を構成することができず、「はじめに」の末尾で挙げた③④⑤の三論併記のような形となる。③ 東日本斑目家の系統は家伝通り、斑目四郎の子孫であると見るのが最も妥当である。④ 東日本斑目家も橘広房の子孫である可能性がある。⑤ 東日本斑目家と薩摩斑目家は出羽国の斑目郷という根拠地を同じくしており、その地での活動や婚姻などを通じて一体化している可能性がある。まず、須賀川市図書館の『白河斑目氏系図』を見てみよう。(24頁以下参照)班目文雄氏の『先祖探しの旅』によると、須賀川市は斑目家が全国最多(市区町村単位)の18軒が存在する「まだらめのメッカ」とも言える地である。

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