『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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124から応神天皇時代まで漢字がなかったとか、使わなかったというのはありえない話です。例えば3世紀、卑ひみこ弥呼が海外とやり取りをした時、向こうが書いてきた文章を読めなかったことはないし、文章を書いて持って行っている。だから当時の人々も、名字を持っていたし文字も知っていた。系図の重要性は十分認識して行動していたと思います。(前記したように、斑目四郎の兄・吉彦秀武の子孫である西沢家には、約三十代にわたる系図『西沢家系譜』というものが伝わっている。その昔、仮に自分の家に系図が伝わっていなかったとしても、学習院大学の鐘江宏之教授によると「当時の役所にも官位授与などの記録があったから、在庁官人に食い込んでいけば、先祖の情報を見ることができた」という)――そもそも真年と憲信はどうやって系図資料を集めたんですかね。真年と憲信の資料収集の範囲を見てみると、九州がわりと抜けているんです。どうしてかというと、彼らは仕事で行ったところを中心として、先々で接触した人間から収集して

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