『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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104は変わりゆくという諸行無常の真理を身をもって教えるため、自らの死に際し遺体を道端に放置せよと遺言。やがて腐乱し白骨化する様を絵師に描かせたという。橘氏一族で最大のスターといえば始祖の諸兄だろうが、次はひょっとしたら逸勢かもしれない。平安時代初期、奈良麻呂の孫として生まれ、空海、嵯峨天皇とともに書道の三筆と言われた。その逸勢の生きた証を微かに残す『橘逸勢邸址』の小さな石柱が、京都市中京区姉小路通の住家脇に、忘れ去られたような殺風景な姿で立っていた。何かがぶち当たったのか、やや左に傾いたまま、根元をコン*往時の栄華が全く失われた京都市中京区の路傍に、やや傾いたまま ひっそりと立つ「橘逸勢邸址」の石碑。

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