『薩摩斑目家』の歴史
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96から政治の世界に登場したりもしていますから。仮に35歳前後だとしても、政所衆になって全くおかしくない。 ―ところで以広は、政所衆という要職に就きながら、わずか三カ月で辞任しています。どうしたんでしょう。三木 当時、そういうケースはけっこうあって、いろんな理由が考えられる。まあ、当時の一般論で言えば、一番大きな理由としては、子孫にしっかりと権益を譲るという流れがあるわけです。そのためには早く辞任した方がいい。武家の世界ではその流れが当然のものでしたから、それが基本だと思います。三カ月というのも、全然おかしくない。一日、二日で辞任というのがざらにありますから。ただ、以広の場合は、地位を譲ったという動きがないのであれば、事件の可能性なんかももちろん、大いにある。その事件の勃発を予測して、事前に自ら辞任してしまうということだってありますね。 ―以広も、辞任後の消息が不明です。「薩摩斑目家」のご先祖様はいったい、どう

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