『薩摩斑目家』の歴史
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82いたっては2500人もの規模に上ったと計算される。渋谷家の御曹司・泰基の養子入りで、斑目家と渋谷一族との関係はどうなったのか。(佐藤真人氏)「その時々の状況の影響も受けるでしょうから、ある時期は近づき、またある時期は遠ざかり、それを繰り返したんじゃないでしょうか。長い目で見れば、確実に近づきつつはあったでしょうが、斑目と渋谷の間で訴訟が起きてもいますから、ずっと近かったという訳ではない。でも、渋谷一族の合議の席なんかに斑目も加わっていたと思います」(栗林文夫氏)「泰基が、いくら渋谷の出だからといっても、世代が変わると見方も変わります。祁答院家で泰基を知る世代が生きている時だったら、斑目家の立場もそれなりだったかもしれませんが、時代が下がると、泰基の記憶を持った人々がいなくなる。斑目家もだんだんと渋谷の一家臣になっていったんじゃないですかね」

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