『薩摩斑目家』の歴史
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78☆一分地頭となった斑目氏鎌倉幕府は全国に地頭を置くことによって、それまで、貴族や豪族が持っていた荘園・公領といった経済権益の源泉をはぎとっていった。地頭は、荘園・公領の軍事・警察・徴税・行政権を持ち、土地や農民を管理した。巷間、「泣く子と地頭には勝てない」と言われるほどの権柄ぶりだった。地頭職の分割相続によって、その一部分を持つのが一分地頭だ。泰基は斑目惟基の養子となったのを機に、渋谷・祁答院家の実兄重松から祁答院の一部の土地を譲り受け、一分地頭となった。以後も祁答院家から斑目家へ、あるいは斑目家内で土地の異動があったが、いずれも大きな規模ではないようだ(次ページの別表は薩摩斑目家の所領異動状況)。(栗林文夫氏)「斑目氏も地頭は地頭ですが、祁答院地域の一分しか持っていませんからね。しかも、柏原の内下河口とか、文書を見る限りは、そんなに面として支配していない可能性があります。ほんとにピンポイントの場所として、そこだけ持っているという感

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