『薩摩斑目家』の歴史
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27参★祁答院の斑目家参★祁答院の斑目家中世薩摩を舞台とする斑目家の歴史を知るための史料として、ほとんど唯一最大の手掛かりとなるのが「斑目家文書」だ。出水市在住の斑目家が継承してきた「斑目家文書」は、現在、鹿児島大学図書館に所蔵されている。鎌倉時代初期の建永元年(1206年)から室町時代後期の永禄元年(1558年)までの約三百五十年間に作成された、全21通の文書だ。中世薩摩史の泰斗として「斑目家文書」を研究した五味克夫・鹿児島大学名誉教授は、半世紀近く前に発表した論文で、斑目家について、こう要約している。「斑目氏は橘姓、出羽国を本貫地とする。早く鎌倉幕府の御家人で東国に住したが、のち薩摩国祁答院地頭、平姓渋谷氏の庶子泰基(聖蓮)が斑目惟基の養子となってその跡をついだことから、同氏は祁答院柏原(鶴田町)等に所領を有し西国に移住、在地の武士と

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