『薩摩斑目家』の歴史
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176南北朝1335建武二年文書「平重実譲状」。班目氏、借屋原も領地にする1338延元三年白河斑目憲基、阿倍野で戦死。足利尊氏、征夷大将軍に1367正平二十二年文書「沙弥祖銛譲状」室町1395応永二年文書「平重朝安堵状」1398応永五年文書「前出羽守重茂安堵状」1406応永十三年文書「沙弥昌的譲状」1412応永十九年文書「河内守延重名字書出」1467応仁元年応仁の乱1481文明十三年斑目道基・則常、鹿島神社で一万句の連歌に参加1484文明十六年斑目右京進、藺牟田城の守将となる。のち島津家の攻撃を受け討死1543天文十二年鉄砲の伝来、またたく間に西日本に広がる1558永禄元年文書「斑目広通寄進状案」。斑目広通、湯田八幡に土地を寄進する1559永禄二年祁答院氏滅亡1560永禄三年桶狭間の戦い1573天正元年室町幕府滅びる

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