『薩摩斑目家』の歴史
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171九★あとがき九★あとがき 斑目力曠私は薩摩斑目家の歴史についてはほとんど知りませんでした。このたび、山﨑さんに国会図書館を中心に各地の図書館で史料を調べていただいたり、鹿児島県に二度出張取材に行っていただいたりしたことで、およそのアウトラインといったものが見えてきました。その中でも最も大きな収穫は、これまで「出羽国(秋田県)にあるはずだ」と言われ続けながらも発見されることがなかった「斑目」の地が、実際に秋田市内で「班目沢」という地名で見つかったことです。さらに今回、日本史上に初めて斑目姓を帯びて登場する「前九年の役」(1051年~1062年)の第6陣司令官・斑目四郎武忠が、「薩摩斑目家の始祖である可能性は極めて高い」ということが、学者の方の見解として裏付けられました。つまり、秋田市で見つかった「班目沢」が斑目四郎の出身地であるというわけです。その斑目四郎から現在にいたるまで、1000年近い時が流れました。1000年といえば、一代を約30年として数えれば30代を超える長さです。父の両親、そしてさらにそれぞれの両親、といったふうに30代を数え上げていけば、父方の先祖だけで約20億人となり

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