『薩摩斑目家』の歴史
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167八★日仏と力曠発の際に道路拡幅に引っかかって移転することになり、地域住民の希望で一緒に配置されることになった。神社も地蔵も、いつ、なぜ、そこに作られたかは付近住民に聞いてみても、「さあ、むかしからあったからねえ」と返ってくるだけだ。日仏はなぜ、そうした地蔵を、出水と鹿児島に作ったのか。出水はわが故郷、まさに先祖の地という思いがあっただろう。鹿児島はどうか。鴨池の建立地近くには島津家関連の館があったらしいが、関係があるのかないのか。それにしても、日仏は地蔵自体になにかと縁が深い。滋賀県長浜市の木之本地蔵院にある、日本三大地蔵の一つといわれる「地蔵菩薩大銅像」(高さ約6メートル)。この銅像が太平洋戦争の際、軍需省から供出命令を受けた時、「地蔵菩薩は信仰の対象である」と供出を拒否し通せたのも、日仏の助力があったおかげだといわれる。強圧的な軍の権力にも屈することのない、日仏の仏教徒としての信念が偲ばれる。

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