『薩摩斑目家』の歴史
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161八★日仏と力曠日仏は、明治十八年に出水市で生まれた。慶応三年の第88番軍役高帳に「1斗3升」の石高で記録されている「斑目藤右ヱ門」の次男栄蔵として。当時、斑目家は極めて厳しい生活を余儀なくされていたと思われるが、意気軒昂な日仏は、大志にあふれた少年であった。小学卒の学歴しかないまま、15歳の時に「東京に出て、政治家になろう」と志した。思い立てば、行動は早い。単身、北九州の門司に行き、客船に乗り込んで、東を目指した。そして関門海峡を渡っていたとき、船内で一人の高僧と運命の出会いをしたのである。それが、人生の岐路となった。高僧は船上の無聊を慰めでもするように、少年日仏の夢語りにじっと耳を傾けていた。そして、しまいには「坊やは政治家よりも、お坊さんになった方がいい」と強く勧めた。日仏は、船が下関に着くと、高僧に導かれるまま一緒に列車に乗り、高野山へと連れて行かれたのだった。「剛毅な性格で、薩摩隼人そのもの。そして、非常に霊感の強い人でした」

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