『薩摩斑目家』の歴史
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159八★日仏と力曠この地で社会の平和と人々の安寧を祈願していた「天宗総本山日仏寺」は、現世から完全に消え去っていた。駅に向かって踵を返すと、いつのまにか冬のもの寂しい夕暮れが始まっていた。 *「日仏寺」は、信仰心篤かった斎藤実・元首相が二・二六事件の凶弾に倒れる以前の昭和三年、経済恐慌からの国民の自力更生を願って、東京・中野区に自費で建立した。親交があった真言宗大僧正の斑目日仏の名から命名したものだ。日仏が昭和九年五月、斎藤から依頼されて百草園の「落川1100」に移し、自ら運営していた。五間六間の銅板葺方形造りの堂宇、須弥壇には金色燦然たる亜麻組風厨子を設け、自作の大日如来像と弘法大師坐像を安置していた。昭和十二年一月には「天宗」という独自の宗派を開き、「天宗総本山聖殿」と改めた。信徒は東京を中心に京都、大阪など

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