『薩摩斑目家』の歴史
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153七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューい、これは六郎さんが立て替えて、みんなで割り勘した。久保田さんという人が猪肉を持ってきて、また焼酎を飲んでいる(笑)。 ―出水麓の生活は、「一ヶ所」とか一石という数字だけ見ると、ウワーッ、これは食うや食わずで大変だったろうなというイメージになりますけど。焼酎を連日飲んで、猪肉を食って︙︙(笑)。肱岡 米は食わないけども、飢饉でどうのこうのというわけではない。普段の生活は本当に大変なんだけど、なんとかなっていて、悲惨ということでもないみたい。例えば、出水は六つの組に家臣団が分かれていて、それぞれに組頭がいます。で、鉄砲の訓練のためにコンテストみたいなことをすると、その晩は今で言う反省会と称して、組頭の家に行って飲み食いする。その経費を誰が負担するかというと、常に組頭です。他の下っ端はただ行って、呑んで食うだけ(笑)。ですから、そういう三役になるような人は経費がかかってしょうがない。実は、そういう文書が残っているんですよ。「とても足りません」と。「手当を下さい」と、根を上げている文書もあります(笑)。猪肉なんかは山の贈り物でタダ

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