『薩摩斑目家』の歴史
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151七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューじゃない。あれは内職。そうじゃない。家を建てると、「大工・肱岡なになに」とちゃんと書いてある。だから武士のワークシェアリングですね。内職としてアルバイト的にしているんじゃない、俺の仕事だと。大工さん、左官さん、鍛冶屋さん、いわゆる職人というのはぜんぶ武士。なぜかというと、武士の数が多すぎて、禄を与えることができないから。そんな仕事を町人にまわすような余裕はないんです(笑)。 ―そうすると、斑目氏は何をしていたんですかね。肱岡 それは分かりません。住んでいたところにもよりますから。私のところは川向こうに離れた向江という地域なんですけど。この向江は、職人さんたちが多かったところです。 ―嘉永六年(1853年)に斑目六郎が、「郡見廻」の役職に就いています。だから、何の職業だった、とは?

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