『薩摩斑目家』の歴史
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149七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューうこれはですね、奥さんがうちもたいへんなのに、「なんで貸したりするのよ」と、しかし「貸さんと次に貸してもらえんだろう」と。そういうことじゃないのかなと思います。 ―そういう出来事ですか(笑)。肱岡 恐らく、そういうことだと思います。 ―天保11年の軍役高帳を見ると、斑目本家である2石8斗の十蔵の家に、猪之助が養子として入っています。こんなに窮状厳しき家に、なぜ養子が。肱岡 家がなくなるからですよ。武家社会で何がいちばん大事かというと、家を守ることです。とにかくお家大事、家名存続が一番というのが武士だから、養子をもらう。逆に、養子に行く側からすると、男の子が3人いたらどうするんだという問題です。これが戦国の世なら、兵隊さんが3人おっていいんですが、平和な時代であれば男の子は一人おればもういい。じゃあ、どうするかと言ったら、もう独立するって言ったって、次男、三男の

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