『薩摩斑目家』の歴史
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13壱★総括とポイントこれほどに「薩摩斑目家」と関わりが深い「出羽国」であるにもかかわらず、従来、「秋田県内に斑目という地名は存在しない」とされてきた。このため、「薩摩斑目家」にとっては不都合な、こんな見方が広がっていた。*斑目四郎の「斑目」は地名から取ったはずなのに、その地名が存在しないということは、彼の出自は出羽国ではないということ。*「橘元長」が「出羽国斑目」で地頭をしていたと書いてあっても、その地名が存在しないということは、その文書自体が疑わしいということ。「斑目」という地名自体が存在しないのであれば、その疑念は当然のなりゆきである。文雄氏の著書もそんな疑念を示していた。しかし、秋田県に「斑目」の地名が実際にあることが分かった。ということは、自ずと①②③の主張の正当性が強まるということである。

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