『薩摩斑目家』の歴史
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113五★出水麓の斑目氏までの11冊。「軍役高帳」は時代の変遷とともに、郷士を管理する道具という側面を強め、元禄期(1688年~1704年)以後は戸籍簿と財産台帳を兼ねる性格のものとなった。そこには、各戸ごとに持高の増減、分家・出家、隠居、出生、死亡、相続、罪科などの情報が添え書きされている。☆70石から「一ヶ所」へでは、この軍役高帳を時系列的に追っていきながら、斑目氏の家計の状況を見ていくことにしよう。(114〜115ページの表を参照)江戸幕府が始まって10年。現存する最古の軍役高帳である慶長十七年(1612年)の「薩州出水衆中軍役高帳2番」を見ると、「100石以上」が14戸、「100石未満50石以上」が40戸といったふうに、上級石高の郷士がならんでいる。当時、郷士が最低限度の生活水準を維持するには「4石程度」が必要だったのに対し、「50石未満10石以上」が227戸、「10石未満4石以上」が243戸となっている。4石以上は計524戸に達し、「4石未満

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