『薩摩斑目家』の歴史
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108約5万戸に上った。士族一人に対する平民人口比(明治四年)は、全国の16・5に対し、薩摩藩は2・8と極めて奇異な状況となっている。しかも、薩摩の土地は、ほとんどが火山性特殊土壌である。猛烈な台風の常襲地帯でもある。そんな悪条件の中、あまりにも多すぎる武士たちを、どうやって食べさせていたのか。その秘密が、薩摩藩の社会構造の根幹をなす、独特の地方組織である「外城制度」にあるのだ。「外城制度」とは、鹿児島城下に住む「城下士」以外の武士を、農工も営んで自活する「郷士」として、113に区分けした郷(外城)に居住させるものだ。それぞれの外城には麓と呼ばれる中心地域があり,郷士の居住地となっていた。さらに麓の中核施設として、郷全体を統治する地頭仮屋が置かれた。一朝事ある時には、麓の郷士たちが直ちに軍団を形成し、地頭の指揮の下に出陣する。平時には、郷士自身が農耕に従事するため、「農民」の数が増えることになり、武士の食糧をかろうじて確保できると

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