『薩摩斑目家』の歴史
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107五★出水麓の斑目氏よれば、総石高2万2113石、士族5806人、平民1万2755人、合戸数3991戸という薩摩第一の大郷である。出水平野は全国屈指のツルの飛来地として知られ、毎冬、シベリアから渡り来る約1万羽のツルの優美な姿が、出水郷士たちの目をなぐさめていただろう。そんな出水郷で、斑目氏は生きることになった。暮らし向きは、石高の変遷などが「軍役高帳」の記録からうかがえる。その内容を紹介する前に、少し長くなるが、薩摩の「外城制度」と「出水麓」について説明しておきたい。出水時代の斑目氏のありようを、決定的に規定する枠組みだからである。薩摩藩は、武士の数が日本でも断トツというより、異常なほどに多かった。九州平定の発展時に武士の数を要し、また敵軍の武士を吸収してきた経緯があるのに加え、江戸幕府への警戒心と対抗心が強く、「尚武」の気概に比類なきものがあったためだ。日本最大の藩の加賀藩(102万石)でさえ士族は1万4千戸だったのに対し、薩摩藩(77万石)は

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