『薩摩斑目家』の歴史
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106五★出水麓の斑目氏江戸時代が始まるころ、島津家の一家臣の身となった斑目氏。薩摩の北の守りを担う外城郷士として出水麓に移住させられ、麓衆中らと武芸修練の日々を送る。一方で、薩摩の米事情は極端に厳しく、斑目氏の持高も減少の一途。武士の面子はかろうじて保ちつつも、農耕の窮乏生活を余儀なくされる。維新動乱の時代を迎え、戊辰戦争に斑目清左ヱ門が、西南戦争には斑目亀太郎と斑目仲左衛門が出陣した。☆出水郷出水郷は、鹿児島県の北西部に広がる地域で、薩摩藩の中心だった鹿児島・鶴丸城から約100キロの距離にある。出水平野のほぼ中央に位置し、北は熊本県に接し、西は八代湾の向こうに天草諸島を望む。東には矢筈岳を主峰とする肥薩山脈を仰ぎ、南には紫尾山塊が抱き込むように延びる。郷の大半は扇状地で、米ノ津川、平良川、高尾野川、野田川がいずれも北西に流れて八代湾に注ぐ。明治四年(1871年)の「薩隅日地理簒考」に

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