『薩摩斑目家』の歴史
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100さっき言ったように、十分ありうることです。その惟広改め元長が、出羽国斑目の地頭になった。問註所衆からはランク落ちになりますが、これも当時ではありうることですね。いずれにしろ、その出てきた家系図が本物かどうか、「後改元長」という文字が後から書き加えられたものではないかどうか、検証する必要がありますが。 ―さて、「薩摩斑目家」のキーパーソン、渋谷一族と斑目家をつないだ泰基です。彼は斑目家の養子となって初めて薩摩に来たんですかね。それとも、渋谷一族の御曹司として薩摩で生まれ育ったんですかね。三木 薩摩で生まれ育ってはいないんじゃないですか。同じ渋谷一族である入来院家を見ればはっきり分かるんですが、入来院家の家臣たちさえ、薩摩で生まれ育ったという世代が出てくるのはずっと後ですからね。鎌倉中期ぐらいまでに登場する人たちは、みな相模など、薩摩以外のところで生まれています。そんな家臣のありようを見ても、御曹司の泰基が薩摩で生まれ育ったとは考えにくい。とにかく当時の薩摩は、まだ地場の郡司たちの反渋谷勢力が強いですから、地頭とは言っても逃げ回っているような状況ですから。渋

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